香料店にて

 細い裏路地にある香料店に足を踏み入れた瞬間。アルファは鈍い痛みを後頭部に感じた。
 自分が殴られたのだと理解するまでに少し時間がかかる。あまりにも突然のことだったため、まさか店に入るなり殴られるなど予想しているはずもない。あっけなく、魔法使いの身体は重力に引かれるままに床の上に落ち、目の前は真っ暗になった。

 そもそも、アルファが香料店にやってきた理由は、ジャフ草を買うためだった。ごく一般的なジャフ煙草は、そこらの露店でも買えるものなのだが、アルファが好むのは南方イシェ地方産のジャフ煙草だ。露店で売られているものは安価ではあるが、その分純度も落ちるし、売り文句とはまったく別の地方の煙草を売りつけられる可能性もある。
 だから、アルファは、ジャフ煙草の購入には、正規の香料店を利用すると決めているのだった。
 それに、香料店にはその地方独特の薬草やスパイスなどが置いてあることが多く、まためったに見かけないような掘り出し物が埃を被っていたりもする。そうしたちょっとした発見を楽しむために、アルファはどの街でも香料店を、しかもその街で一番古い店を訪ねて歩くのが好きだった。
 それが、今日に限っては災難になったらしい。
 アルファが目を覚ますのに、あまり時間はかからなかった。しかし、その短時間に、彼を気絶させた2人の男はアルファの抵抗を防ぐための仕事を手際よく済ませたらしい。
 両手足は縄で縛られ、アルファの身体は香料店の隅の方に押しやられている。口を塞がれて居ないのが不幸中の幸いというものか。もっとも、口が塞がれて居なかったからといって、大声をだして意味があるほど、この香料点は目抜き通りに近くもない。黙っていた方が得策というものだ。
「大丈夫ですか?」
 ふと気がつくと、すぐ隣に、アルファと同じように縄で拘束された青年が一人、心配そうに魔法使いを覗き込んでいた。
「ひどく殴られたようでしたけど・・・」
「うむ。大したことはなさそうだ」
 小声でそう答えながら、アルファは店内を縦横無尽に歩き回っている2人の男を見た。見るからに柄の悪そうな殺伐とした男たち。こんな状況でなくても、彼らが強盗だということはすぐに分かった。
 隣の気弱そうな青年は、店員だろう。
「災難ですね。こんな時に、店に入ってくるなんて」
「うむ。私もそう思うよ」
 青年はいたって落ち着いた様子で、強盗の様子を伺っている。一見気弱そうに見えるのに、気の強い男だと、内心関心しながら、アルファは自分の荷物の所在と、愛用の杖を探した。どちらの、店のカウンターの上の乗っている。
「旅の方ですか?」
「うん。この街には昨日着いたばかりなのだ。ちょうど、ジャフ煙草がなくなったので・・・」
「残念だな。こんなことになっていなければ、旅の話もたくさん聞けただろうに・・・。本当に今日は運の悪い日ですよね。あ、煙草類でしたら、カウンターの中にありますので、彼らが帰った後にでもお売りできますよ」
 青年は言いながらにこりと笑った。
 冷静なのか、ただ底抜けに楽天的なだけなのか。なんとも不思議な青年だ。
 薄暗く埃っぽい店内の棚という棚中に置かれているのは、大小の瓶に詰められた無数の香料と、薬草スパイスの類ばかりだ。天井からは干し革やら、元がなんだったのか分からないような生き物の足や頭などが所狭しと吊り下げられ、異様に甘ったるい匂いが充満している。
 それらの瓶の間を一つ一つ手に取り、念入り確認している強盗たちは、一体何を探しているのだろう。見たところ、物珍しそうなものが店頭に並んでいるようには見えないし、よほど大切なものなら、カウンター内にしまいこまれているはずではないだろうか。店員と客を縛り上げてまで、探すものとは何なのだろう。
 強盗の1人が、苛立ちのこもった目で、アルファと青年を見た。その剣幕は、どちらかを殺すことも厭わないという顔をしていた。男は、ベルトからさっと短剣を取り出すと、つかつかと近づいてきた。
「おい!おまえ!」
 言いながら、短剣を青年の首元に突きつける。
「おまえなんて、呼ばないでくださいよ。僕にはれっきとした、ギルという名前があるんですから」
「名前なんてどうでもいいんだよ。例の卵はどこにあるんだ?」
「卵・・・?何のことですか?」
 強盗がほんの少しでも短剣を引けば、青年−ギルの命は吹き上がる血液とともに流れ失せるだろうに、当の本人はまったく意に介さないと見える。
「ふざけるなよ!この店で、高値で取引されてるってことくらい分かってるんだ!」
「卵だったらいくらでもありますよ。小鳥の卵、カエルの卵、魚の卵を乾燥させて煎じて飲めば、風邪によく聞く薬になりますが、いかがです?」
「ふざけたこと言いやがって!」
 短剣の刃がかすかにギルの首筋を傷つけ、血が滲み出す。さすがに傍観者のアルファも焦りを覚え、身を乗り出したところで、もう一人の強盗が止めに入った。
「やめろよ。オーロ。そいつを殺しちまったら、何も分からなくなるだろうが」
「じゃぁ、こっちにするかい?ジネイ兄貴」
 いいながら、オーロが短剣をちらつかせるので、アルファはぎくりとして身を縮めた。
「そいつを殺っても意味ねぇよ。馬鹿が」
 兄貴分のジネイに言いつけられ、オーロは短剣を引いた。ほっと肩を撫で下ろすのもつかの間、ジネイのにらみを利かせた鋭い視線が、アルファとギルに向けられた。
「悪いがな。店番の兄さん。少しだけオレたちに協力してくれないか?」
「協力は惜しまないけど、あなた方が探しているものは、僕には分かりませんよ」
 ギルはにこにこしながらそう答えた。
「この店の主なら何か知っているかも・・・。あ、でも、今主は買出しに出かけていて・・・いつもどってくるのやら。一年後が、二年後か・・・」
「一年も二年もそのままで居たいのか?おまえは」
「一年も二年も、このまま都合よく探してられるとは思っていないのでしょう?」
 ジネイはまったく動じた風もなくため息をついた。どうやら、ギルと話すのを諦めたらしい。
 指示を出しながら、ジネイもまた捜索に戻っていった。
 アルファは興味を引かれた。男たちが捜しているものにもだが、胆の据わったこの青年にも。頭のどこかで、形のない危険を感じていたのも確かだが、それよりも好奇心の方が上回ったのだ。
「彼らは何を探しているのだ?」
 魔法使いはギルの耳元に問いかけた。
 カウンターの中を乱暴に荒らしまわるオーロを眺めながら、青年はあいかわらずにこにこと笑っていた。
「ウロボロスの卵を探してるんですよ」
「・・・ウロボロス・・・というと、自分の尾を喰らい続ける蛇のことかね?」
「そう、それですよ。さすがは、魔法使いさん。物知りですね?あ、あなた魔法使いですよね?」
 アルファは静かにうなずいた。
「あ、名前は聞きませんよ。魔法使いの名前は、僕らと違って、意味が重いんですよね。これ以上厄介事背負いたくないですから」
 青年はあっけらかんとしてそう言ってのけた。まるで、魔法使いを馬鹿にするようなその物言いに、どちらかというと呆れたアルファだったが、やはり、どこかで危険だと感じる心は強くなっているように思えた。
 この青年は何かを隠している。ウロボロスの卵よりも、もっと危険なものかもしれない。
「ウロボロスの卵は、高値で取引できるんですよ。若返りの霊薬だっていってね。まぁ、本当かどうかは知りませんけど。金持ちの貴族だとか、商人相手にはいい商売です」
「では、本当に、この店にあるのかい?その卵は・・・」
「えぇ・・・まぁ。でも、今はないかも。注文がなければ、卵を産ませることはできないので」
 そうしている間に、カウンターの奥を探していたオーロがふと顔を上げた。奥まった小さな棚の奥は埃まみれらしく、盗賊の髪にはうっすらと埃が積もり、何度かくしゃみをしながら、ジネイに悪態をつく。
「兄貴、これじゃないか?」
 言いながらオーロは、古ぼけた小瓶をカウンターに置いた。小指の先ほどの小さな白い玉が無数に入れられたその小瓶には、厳重に栓がされ、決して開けられないようにと呪いまでしてあった。
「おい、店員。これが例の卵なのか?」
「さぁ・・・どうでしょうね」
 冷ややかに答えるギルの隣で、アルファははっとした。その小瓶の中身には見覚えがあった。
 ギルの態度に焦れて、さっそく小瓶の栓を開けようとするジネイとオーロ。アルファは慌てて、身体を跳ねさせ、不自由な身体で抵抗しながら「開けるな!」と叫んだ。
「それは、毒真珠だ。それに触れれば、三日三晩苦しんで血を吐いて死ぬことになる」
 ジネイは驚きと恐怖に駆られて、手にしていた小瓶をカウンターの上に戻すと、さっとその場を離れた。まるで、小瓶を触れただけでも同じ毒で死ぬのを恐れたかのように、オーロもまた逃げ腰でカウンターから離れた。
 ギルは知っていたはずだ。だからこそ、封印の呪いまでかけて厳重にしまいこまれていたのだから。それをわざと教えなかった青年は、あいかわらずの笑顔で2人の盗賊を見つめていた。
「あぁ・・・どうして言っちゃうんです?せっかく逃げられるチャンスだったのに」
 そういいながら、ギルはすっと立ち上がった。手足を縛っていた縄がいとも簡単に解け、床に落ちるのを見届け、アルファは呆然と青年を見上げた。
「お・・・おまえ、知ってて・・・」
「当然ですよ。この店の店員なんですから、店に在るものなら何でも知ってます」
 ジネイもオーロも怯えた様子で短剣を抜いた。切っ先をギルに向けて、二歩三歩と扉の方へと後退していく。だが、哀れなことに扉の鍵は自分達でかけてある。
「実際のところ、ウロボロスの卵の在り処も知ってはいるんですけどね。ただ・・・御代をいただかなければ、お渡しできませんから」
「オレたちは強盗だぞ!おまえを殺すことだってできるんだ!」
「私の命ではちょっと・・・」
 ジネイが凄んで見せても、ギルはまったく気にした様子もない。慣れた仕草でカウンターの中に入ると、たった今入ってきた客に話しかけるように、人好きのする笑顔で答える。
「一つでよければ、どちらか片方で結構です。二つとなると、ちょっと・・・事情が変わりますが、できなくもないですよ。さぁ、どうしますか?」
 そこで踵を返して逃げていれば、強盗の2人は助かっただろう。心の底から発せられる本能的な危険察知の警鐘に従い、その場から立ち去り、その日、自分達が襲った香料店のことも、そこで取引されているらしい卵のことも忘れてしまえば、あるいは別の人生があったかもしれない。
 だが、2人の人間は欲深く、また貧しくもあった。どんな卑劣な手を使っても、大金を手に入れたいと思っていたし、そのための少々の危険も厭わない覚悟だった。
 そしてまた、それが命取りなのだと、気づくのには遅すぎたのだ。
「2つ、よこせ」
 ジネイの言葉に、ギルはにやりと笑って答えた。
「えぇ、すぐにでも」
 青年が小気味よくぱちんと指を鳴らす。
 嫌な予感に突き動かされて、アルファは自分の手足を縛っている縄を器用に解くと、さっと身を翻して、カウンターの上の荷物と杖を取り上げ、店の済みのさらに奥まった暗がりの中に身を隠した。
 それとほぼ同時だっただろう。
 カウンターよりも奥へと続く、薄暗い戸口がばんと音を立てて開いたかと思うと、思いもよらぬほど巨大な蛇の頭が躍り出た。光沢のある暗緑色の皮膚もぎょろりとした爬虫類の瞳も、アルファははっきりと見た。その頭だけでも、悠々とそこに立ち尽くしているギルの身長ほどもあり、ずらりと並んだ、鋭く尖った歯は、目にも留まらぬ速さで、オーロの身体を捉えていた。
 香料店の奥の闇から現れた大蛇は、オーロを丸呑みにすると、満足そうに生々しい咀嚼音を立てながら、そのまま飲み込んでしまった。
「なっ・・・なぁ・・・」
 驚きと恐怖のあまり、叫び声さえ上げられず呆然と立ち尽くすジネイを、大蛇の目が捉える。不気味なリボンのように長い舌をぺろりと震わせ、大蛇は笑ったようにさえ見えた。
 久しぶりの餌を前にした狂喜の笑みだ。
 アルファの目の前で、ジネイもまた大蛇の口の中に消えていった。一瞬の出来事であり、悲鳴さえ上げられないまま、2人の強盗はこの世から消えたのだった。
 大蛇は満足げに舌を鳴らし、影の中に隠れているアルファを一瞥すると、そのまま現れた時と同じように、何事もなかったかのようにカウンターの奥へと消えていった。香料店の中には、静寂のみが残される。
「本当に今日は、運の悪い日ですね。魔法使いさん」
 目の前で起こった惨劇など、まったく気にもせず、ギルは涼やかな声でアルファに話しかけてくる。あまつさえ、カウンターの下にしまいこまれたジャフ煙草の包みを取り出してさえいる。
「あの2人にとっては、なおのこと」
 アルファは用心深く足を踏み出し、影の中から出た。手にした杖を強く握り締めたまま、決して警戒は解かなかった。
「ウロボロスの卵・・・どうですか?」
「おまえは・・・何者なのだ?
 荒らされたカウンターの中を片付けながら、ギルが言う。毒真珠の小瓶を棚の奥にしまいこみ、代わりに白い布に大事そうに包んだ、生々しく生まれたばかりの卵を2つ、そっとそこに置いた。
「僕ですか?僕は、ただの香料店の店員ですよ。店の主人に代わって店番をしているだけです」
 青年は静かにそう言った。
「この卵。金持ち連中はみんな欲しがるんですよ。驚くほど高価じゃありませんか?人一人分の命が入ってるんですから」  大きさは、海亀の卵ほどだろうか。穢れを知らない白さを帯びて、ぎらぎらと輝く、血匂さえ感じそうな生命力にあふれたその卵は、静かに脈打ち、静かにアルファを見つめているようだった。
「御代を払った者はもういない。本来ならば、取引相手が寄こした使いの者を大蛇に食べさせているんですけどね、今回は少し事情が違いましたから、この卵は行くあてがないんですよ。どうですか?魔法使いさん」
「遠慮しておこう」
 アルファは、慎重に言葉を選び、静かにそう答えた。耳の奥では、ついさきほど大蛇に丸呑みにされた男たちの声なき声が聞こえてくるような気がする。いいや、もしかしたら聞こえているのかもしれない、目の前のおぞましい小さな卵の中から。
「残念だな。この卵は長持ちしないんですよ。あなたがその目で見た卵を買うことなんて、もう二度とありませんよ」
「もちろん、私も大蛇に食べられたくはないのでね」
 らしくもなく緊張した面持ちのアルファは、二度杖の先で床を叩いた。古い呪いの一種で、子供だましのような悪霊払いの魔法だったが、それでも今は、どんな気休めも必要な気がした。
「えぇ、そりゃあ。そうでしょうとも」
 ギルはにっこりと笑って、ジャフ煙草を差し出した。
「御代は、相場で結構ですよ。命まではいただきません」
 悪びれもない、ぞっとする笑顔だとアルファは思った。
 包みに入ったジャフ煙草を小脇に抱えて、アルファは扉へと向かった。足元には割れた瓶が散乱し、飛び散った香料が充満した店は異様な匂いに包まれ、吐き気がしそうだった。だが、何よりも、嫌気が差すのは、それらの匂いにかき消されることのない、邪悪な影が背後に蠢いているといいうことだ。
 それでも、アルファは最後にふと店内を振り返った。開け放たれてもなお暗い大蛇の消え去った影を見つめ、そこを守るように立った青年を見つめて、アルファは問わずにはいられなかったのだ。
「あなたは、信じているのかね?その卵を食べれば、不老不死になるという話・・・」
「まさか、私は信じませんよ。そんな戯言」
 青年は、ふいに真顔になってそう答えた。
「そうでなくては、商売にはならないでしょう?そう思いませんか?魔法使いさん」
 その問いには答えることなく、アルファは香料店を出て行った。