冬の魔法の話

 ルウは道に迷った。
 縦横無尽に入り組んだ蛇の道で迷ったら最後、一晩経っても抜け出せない。というのが専らの噂だが、まさか、自分がそんな目に遭うとは思わず、道に迷ったのだと自覚したとき、ルウは茫然と階段の上に立ち尽くしてしまった。目の前にある踊り場からは、さらに3つの階段が伸びており。一つは上へ、一つは下へ、一つは下へ行ったあとにまた上に上がっているように見える。人が一人か二人通れるかという細い路地を、さっきから右へ左へ歩いては見るのだが、もとより方向感覚が鋭い方はあっという間に方向を見失ってしまった。一応、魔法学院のある丘の上から緩やかな坂に沿った街の中に居るわけだから、市街地へ降りていく道くらいわかってもいいはずなのだが、実際に迷路の中に入ってしまったら、幾重にも折り重なった迷いの魔法のおかげで、あっという間に迷宮入りだ。
 アルファが前に話してくれたことがある。
 もともと、魔法使いの街は大きな戦争の最後の砦として作られた街だったから、要塞である魔法学院を守るために、そこへたどり着くための道はことごとく、入り組んだ迷路として作られ、加えて古くからの迷いの魔法が強くかけられているのだという。また時代が流れるにしたがって、魔法使いの数が増えていくと、狭い街の中に押し合いへし合い次から次へと奇妙キテレツな道を作っては、さらに変てこな建物を増やし続け、結果的には正確な地図さえない、迷宮ができあがったというわけだ。一応は、目抜き通りであるアリューシェ通りがあるから、普段は迷ったりはしない。それに、長いことこの辺りに暮らしていれば、おのずと迷いの街の中にも慣れてくるものだ。
 本当にうっかりしていたと、ルウは改めてため息をついた。自分の勘などに頼らなければよかった。
 結局、3差路を下へ行く階段を選び、とぼとぼと歩いていた少年は、しばらく先に再び上り階段を見つめて、本日何度目かのため息をついた。これでは、夕刻までに家に帰り着けそうもない。
「最悪だ・・・」
 はぁ、とため息をついて階段半ばに座り込むと、ルウは希望を見失った目で、空を仰ぎ見た。
 空の色は薄くとても高い。寒いのは大嫌いなルウは、少しだけ冷たい両手をすり合わせて、はぁと息を吹きかけた。もうすぐ冬がやってくるのだ。
南の果てにある魔法使いの街の寒さなど、なんということもない、とアルファはよく言うけれど、ルウにとっては一年でもっとも苦手な季節だった。南の街でも朝晩は冷え込むし、その度に、どうして学校へ行かなければならないのだろう、と頭を悩ませることになるだろう。  嫌だ。本当に嫌だ。冬など、来なければいいのに・・・。
「あの・・・」
 ふいに声をかけられたとき、ルウは上の空で、寒さへの憂鬱をつらつらと考えていた。だから、すぐ目の前に、自分と同じくらいの年頃の女の子が立っていることにも、ほとんど気付いていなかったのだ。
「え・・・あ、ごめん!なに?」
 はっと顔を上げて、慌てて立ち上がる。普段から女の子となんて話したことのないルウは驚いて、思わず階段を踏み外しそうになった。 女の子はにっこりと笑って、ちょっとだけ首をかしげた。
「突然、こちらこそごめんなさい。あの、道に迷ってしまって・・・」
 女の子は、遠慮がちにそうつぶやくと、ルウの顔色を伺うようにじっと見つめてきた。その真っ青な色の視線に耐えられず、思わず目を逸らしたルウは、バツ悪そうに視線を彷徨わせながら自分の髪を撫で付けた。
「あの・・・えっと実は僕も、迷ったんだ」
「あら・・・そうなの?ごめんなさい。気付かなくって」
 階段一段分あっても、ルウと彼女との視線は対して変わらなかった。それに気がつくと、少年の心は少しだけ傷ついた。自分が小柄で、クラスでも一番小さいことくらい知っている。それがルウのコンプレックスなのだ。相手に悟られないように、そっともう一段階段の上に移動する間に、女の子は困ったという風に辺りを見回している。
「道順通りに来たはずなんだけれど・・・すっかり、分からなくなってしまって。もう何時間も歩いているのだけれど、目印らしいものも見つからないの」
「・・・そうだよね。この街でも一番複雑なところだからね。君・・・街の外の人?」
 見てはいけないものを見るかのようにそっと相手を見てみれば、彼女は大きめの旅行用の鞄を両手で大切そうに持ち、見たこともない服装をしていた。髪は銀色で、冬の高い空のような眼の色は、この街では見慣れない。ルウは、どことなくエルーに似ているな、と思った。雑貨店の女主人で、アルファの養い子であるエルーの母親は、北方の魔女の血を継いでいると聞いたことがある。
「この街には初めて来たの。だから、道も分からなくて・・・。地図もあるのだけれど、ずいぶん古いみたい」
「その地図、見せてくれる?」
 女の子は言われるがまま、灰色のローブのポケットの中から、折りたたんだ紙切れを取り出してルウに手渡した。彼女の言うとおり、たしかにそれは地図のようだったけれど、何本か引かれた線と、目的地を表している赤い印くらいしか描かれていない。これでは、街の人間でも目的地には行けそうもないな、とルウは思った。
「どう?分かるかしら?」
「ううん。全然分からない・・・」
「そう・・・困ったなぁ・・・」
「急ぎの用なの?」
 ルウが問いかけると、女の子は至極真面目そうにうなずいた。
「とっても急ぎなの。今日中に用事を済ませて、急いで帰らなければ。もうあっというまに冬が来てしまうでしょ?」
 だから、急ぎなの。と繰り返す彼女の言い分はよく分からなかったけれど、とにかく、この迷路から一刻も早く抜け出さなければならないことだけは分かった。
「じゃぁ・・・僕も一緒に出口を探すよ。君よりは、少しは分かるかもしれない」
「本当?ありがとう!! あなた、いい人ね」
 女の子は、またにっこりと笑った。柔らかい雲みたいに、優しげでふんわりと笑った。
「私、アイネよ。あなたは?」
「ルウ」
「はじめまして。ルウ。そして、これからもよろしくね」

 アイネは、北からきた魔女だと言った。
「北の魔女はね。13歳で独り立ちするの。15歳になったら、最初の旅に出る。どこへ行くかは、誰にも分からないの」
「誰にも・・・?」
「そうよ」
 至極当然という口調のアイネの言葉の意味をじっくり考えてみようとはしたが、やはり女の子の言うことはよくわからないとルウは決定付けた。彼の上に3人いる姉の会話など、ルウにはほとんど分からないのだ。
旅道具らしい、大きな旅行鞄を持つというルウの申し出を断り、アイネは大切そうに鞄を運んでいた。純粋に何が入っているのか聞いてみたいと思ったけれど、女の子にそんなこと聞くのは失礼だと思い直して、ルウは彼女よりも低い視線に辟易しながら、前を向いた。
「この南の果ての街はとっても遠いから、私みたいな半人前が行くところじゃないって・・・皆に言われたわ。でも、来てよかった。海ってとっても綺麗なのね!」
「海を見たことないの?」
「えぇ。私の故郷にはないもの」
「へぇ。僕は、海のない場所の方が想像つかないなぁ・・・」
「そうなの?」
 アイネはくすっと笑った。何か可笑しなことを言ったかと思って、振り向いたルウだったが、彼女の眩しい視線の前に、どぎまぎしてしまう。
「なんだか変ね。あなたと話してると、とても楽しい」
「そう・・・そうかな?それなら、よかった」
 2人は、もう何度目かの角を曲がったところだった。さっきからずっと真っ直ぐな道を歩いていた。傾斜のある街の中で、まっすぐに歩いているということは真横に移動しているということだ。このまま、まっすぐに進んでいれば、アリューシェ通りに出られるかもしれない。
「あなたも魔法使いなのでしょ?」
「うん。まだ、学院を出てないから・・・半人前にさえなってないけどね」
「でも、魔法使いらしくないね」
「え?」
 どういうことかと思って、問いかけると、アイネは道のど真ん中に立ち止まり、しっかりとその情景を覚えようとするかのように、辺りを見回した。
「だって、南の魔法使いは偏屈で、よそ者とは口を利かないって聞いてたもの」
 彼女は顔を上げた。
「もうずっと前に、私たち魔法使いは方々に散ってしまったから、南と北では魔法が違うんですって。だから、お互いに嫌いあっているんだって聞いていたの。だから私、誰とも口を利かずに街まで来たのよ。そのせいなのかしら?道に迷ってしまったのは・・・。誰かが私を、迷いの道に誘いこんでしまったのかしら」
「それなら、きっとその魔法はとてもいい方向に作用したんだね」
 ルウは、ぽかんとするアイネを見つめて、口から出た言葉を抑えようともしなかった。
「だって、僕は君に会えたから」
「うん。そうね」
 ぱっと明るくなる表情に気がついて、とたんに恥ずかしくなり、ルウはまた歩き始める。なんてこと言ってるんだろう。これじゃ、ラース兄さんの口説き文句と一緒じゃないか。

 ふと、細い路地の角を曲がったところで、ルウは足を止めた。そして、心から安堵のため息をついた。
「アルファ!」
 ルウが呼び止めた魔法使いは、路地の石造りの壁になにやら落書きのようなことをしているところだった。名前を呼ばれて振り返ると、アルファは、あぁとやんわりと笑って答える。
「よかった!あなたに会えて。ずっと、蛇の道で迷っていたんです」
「ほぉ。君がかい?珍しいこともあるものだね」
 蛇の道の真ん中でアルファに出会えたのは不幸中の幸いだった。彼ほど、蛇の道の迷路を熟知している者は他にはいないといってもいい。彼に従えば、無事にアイネの行き先も分かるはずだ。
 蛇の道の壁に、なにやら呪文を書き散らしている最中だったらしいアルファは、ふとルウの後ろから着いてくる見知らぬ少女に気がついて、はたと顔を上げた。驚いたような関心したような、ほぉと小さな感嘆の声を上げる。
「ベリルグランの使者とは珍しい。もう冬の便りかね?」
「あなたは、ベリルグランをご存知で?」
「あぁ。昔ね、何度か行ったことがあるのだよ。国に変わりはないかね?」
「はい。いつになく、今年はソレンの御心に恵まれ、皆、心安らかです」
 話の内容が分からず首を傾げるルウになど気もくれない、アルファとアイネ。居心地悪さに少年はため息をついた。
「しかし、まだ君は未熟者と思うね。北の者が、安易に正体を晒していけない」
 アルファに指摘され、アイネは恐れ入るように顔を俯かせる。
「来年からは気をつけなさい。ソレンの加護を受けた小さき魔女よ」
「はい。魔法使い様。ありがとうございます」
 ついに耐えられなくなって不機嫌そうに咳払いをするルウに、たったいま気がついたかのようにアルファは、驚いた顔を向けた。この人は、絶対にわざとやっているんだ、と確信めいた非難が心に浮かんだせいか、険しい表情になるルウに、アルファは笑いかける。
「ベリルグランの使者に出会えた君は、実に運がいい。彼女らは、そうそう姿を見せない種族なのだ。きっと、もう二度と出会うことは叶わないだろうよ」
「本当なの?アイネ」
 少女は静かに厳かに頷いた。
「ごめんなさい。せっかくお友達になれたのに・・・」
 ルウもアイネも蛇の道の中で迷ったのだとアルファに説明すると、彼は手にしていた炭の端を使って、アイネの古ぼけた地図にいくつか線を書き入れた。ただそれだけなのに、地図は見違えるほど立派に生まれ変わり、今現在自分たちが立っている地点から、アイネの目的地、つまりはアリューシェ通りを登った先にある魔法学院までの道筋がはっきりと見て取れた。
「さぁ、早く行きなさい。小さな魔女よ。冬の便りを早く告げに行かなければ・・・。南の果てのこの街が、冬の訪れが最も遅いのだ、急がなければ、国へ戻れなくなってしまうよ」
「えぇ。そうします」
 言いながらアイネは、ルウに向き直った。自分よりもいくらか小さいルウを見下ろす形になったが、少女は少しだけ身を低くして少年の顔を覗き込んだ。なんだか、突然の成り行きで、茫然としたままのルウはぼんやりと、だがしっかりアイネを見つめた。
「君にこれをあげるわ」
 そう言ってアイネは大切に持っていた旅行鞄をルウに差し出した。
「今年は、いつもよりもたくさん降ったから、きっと南の街でも降るわ」
「何が?」
「雪を降らす魔法よ」
 見たこともないような高い高い空の色をした瞳に吸い込まれそうになった時、ふいにアイネはルウの頬にキスをした。
「ありがとう、ルウ。・・・それじゃ、さようなら」
 ふわりと冷たい風が頬を撫でたかと思った次の時には、アイネは踵を返して駆け出してしまっていた。一瞬、後を追おうと駆け出しそうになったのだ、突然の冷たい風に目が眩しくて、立ち止まってしまった。その間に、少女はあっというまに姿を消した。
「さよならも、言えてないのに・・・」
「彼女たちを引き止めることはできないよ。ルウ。彼らは風のようなものなのだから」
 アルファがそういう横で、ルウはふと自分の手に残された旅行鞄を見つめた。アイネはとても大切そうに持っていたのに、鞄はとても軽かった。中に何が入っているとしても、それは空気くらい軽いもののように思える。
「開けてみるといい。ルウ。冬の魔女の贈り物だ」
 言われるがまま、ルウはそっと鞄を地面に置いてから、ゆっくりと鍵を外して開いてみた。
 その瞬間、鞄の中からは冷たい風がわぁっと吹き抜けて飛び出してきた。その風がとても冷たかったので、冷水をそのまま浴びたかのような衝撃に、ルウは吹き飛ばされるように後ろに尻餅をついてしまった。目を開けていられないような一瞬。ようやく、鞄の中からの風がやむと、恐る恐る目を開けた。
 鞄の中にはなにも残ってはいなかった。
 問いかけるように見上げるルウに、魔法使いアルファはローブの襟をひっぱり、寒そうに身震いしながら、にっこりと笑った。
「雪を降らす魔法だよ」

 翌朝、ルウは生まれて初めて雪と言うものを見たのだった。