踊り子の話

 昔、ある国に双子の踊り子がおりました。  姉の名前はシオといい、国でも指折りの舞の名手でした。妹の名前はクイといい、姉のシオほどの腕はありませんでしたが、なかなかの踊り手でありました。
 ある時、双子の姉妹の噂を聞いた国王の命令で、国王の面前で舞を踊ることになりました。シオは大いに喜び、クイは気を落としました。なぜならば、クイは姉ほど美しく踊ることができず、一緒に舞うことになれば、間違いなく見劣りすると分かっていたからです。
 シオはクイに、舞をやめるように言いました。彼女は妹よりも上手であることを承知していたので、国王の面前で舞うのは自分だけでいいと思っていたのです。けれど、舞を愛するクイは諦めませんでした。面前での舞の日まで幾度も練習を重ね、姉と共に舞台に立つことを望みました。
 そして、その日。双子の姉妹は、王と神に捧げる舞を舞いました。2人とも美しく、国中の人々が2人の舞を賞賛し、喜び称えました。若き国王は、2人の内のどちらかを妻とすることを望みましたので、誰もが、シオが選ばれると思いました。なぜなら、シオの方が舞が美しくしなやかで、誰が見ても上手であったからです。けれど、国王は、妹のクイを選びました。
 クイの舞は、王や神を称え、民を思う優しい舞だったからです。国王はクイを気に入り妻としました。
 シオは大変悔しがり、クイに王妃となることを辞退するようにと言いました。元来、神のために舞う踊り子は、神の物であり、王の物ではないのです。クイは、「私は王に選ばれ、姉さんは神に選ばれたのだ」と言いました。「それは大変名誉なことで、素晴らしい賞賛は姉さんの物だ」と。けれど、シオは納得することができず、ただ妹を羨ましがり、妬みました。自分の方が、踊りを美しく踊ることができるのに、王妃となれるのは妹なのです。シオは、その日より以後、神の舞姫として国王に仕えることになりましたが、妹のクイとは口を利かなくなりました。

 さて、王前での舞の日から幾年かが過ぎました。
 姉のシオは、国一番の踊り手として、神の門前で踊り、多くの民に愛されました。
 妹のクイは、国王の妻として、国王にだけ愛されました。けれど、いつまでも子を成せない王妃は、他の王族から嫌われていました。
 ある日、クイは針の床のような王宮に苦しむあまり、シオに相談に行きました。王妃の地位を妹に奪われたシオは、クイを良く思っていませんでしたから、最初こそ聞く耳も持たず、追い払いましたが、涙ながらに語る妹の様子を見ているうちに、ふとあることを考えついたのでした。
 シオは妹を招き入れると、親身になって彼女の相談を聞きました。クイは、姉に許されたと思い、今までの辛い思いをすべて話しました。王の母上である太后に執拗に責められ、子を成せないのはおまえのせいだと言われます。心優しい国王は慰めてくれるけれど、彼の人を思えば思うほど、苦しくなります。他の王族は、国王に側室を迎えるようにと進言し、王宮の医者さえ口添えするのです。クイを愛している国王は、この申し出を頑として断り続けていますが、それもいつまで続くことやら。無理矢理にでも側室が迎えられれば、クイの立場など木の葉のように取るに足らないものなのでした。
 シオは、妹を慰めてやりました。「あなたの苦しみは、同じ女である私にしか分からない。あなたの望むことなら、なんでも叶えてやりたいと思う」優しく、妹を抱きしめてまるで幼い子供を慰めるように言うその唇は、誰にも気づかれることなく良からぬ企みを呟きました。「私が、あなたの身代わりになっている間に、女神に会いに行くといい。砂漠と密林と川を越えて、その先にある険しい崖の上の泉に住むという女神に頼めば、きっと、国王との子を授けてくださるだろう」。
 なにも知らないクイは、「それはいい考えだ」と思いました。創造神の妻である母性の女神ならばきっと、自分の願いを聞き入れてくれるだろうと思い、すぐに出発しようと心に決めました。
 旅路の無事を祈り、驢馬を一頭と、剣舞の剣を渡し、シオは妹を送り出しました。「あなたが留守にしている間のことを気にしなくてもいい。私が、なにもかもうまく隠しておくから」。けれど、内心では妹がいなくなってくれて清々したと、シオは笑いました。遙かに遠い女神の泉まで無事にたどり着けるはずがないと、彼女は思っていました。途中には果てしない砂漠と、鬱蒼とした森があります。川を越えるには難儀するでしょう。シオの細い腕で崖を上ることなどできるはずもありません。妹は二度と王宮へ戻ってくることはないでしょう。彼女がいなくなった今、シオは自分が王妃になったような気持ちで、大喜びました。

 誰も、王妃が偽物になったなどとは気が付きませんでした。国王ですら、塞ぎがちな妻を慰めることに疲れて、一人部屋に籠もっているのがシオであることには気が付きませんでした。
 ただ一人だけ、この国を好んで気にかけていた、天女だけが知っていました。彼女は、日々泣き暮らす王妃を哀れに思い気にかけていましたから、ひっそりと孤独に旅立ったクイの後を追いました。天女だけがクイの覚悟を知り、彼女の力になろうと決めていたのです。
 王宮を旅立ち、長い街道を進み、広い砂漠に出る頃、天女はそっとクイに語りかけました。「迷わずまっすぐ進むと良い。そこには、見知らぬ砂漠の民が住んでいる。彼らに道を尋ねるといい」。
 その声を神の導きだと信じたクイは、声に従い歩きました。何日も日照りが続きました。クイと驢馬は何度も立ち止まり、休まなければ成りませんでした。やがて、見知らぬ町が見え、クイは砂漠の民に会いました。砂漠に住む人々は、久しく訪れない客人をもてなしました。けれど、水の乏しい砂漠に暮らす人々は貧しく、とても痩せこけた大地でしたので、もてなしの料理を作ることもできませんでした。クイは、彼らを哀れに思い、持っていた食べ物と水をすべて彼らに与えました。
 砂漠の民は、西の果ての国から美しい姫が現れて、助けてくださったと喜び、クイを大いに歓迎しました。
 彼らはクイに旅の目的を尋ねました。彼女は、神に会いに行くのだと答え、その道筋を聞きました。砂漠の人々は快く、東の方角を指して「この先に」と言いましたが、一人では到底たどることのできない道でしょうとも言いました。それでも、クイの決意は変わりません。砂漠の民は、救いをもたらしたクイへの恩返しに、共に砂漠を渡る道を旅することにしました。彼らはキャラバンを率いて、砂漠を横断し、果てしない密林の入り口まで彼女を案内しました。
 そして、食料と水の代わりに、香を一本くれました。
 密林は深く鬱蒼と広がっていました。何年も何十年も人が横断したことのない、未開の地には恐ろしい獣がたくさん住んでいます。天女は再び語りかけました。「香に火を灯しなさい。獣たちは皆眠ってしまうでしょう。代わりに木々はあなたを助けます」
 細く長い香に火を灯し、クイは驢馬を引いて道なき道を進みました。剣を手に、枝や蔦を切り開こうとしますと、密林の木々たちはくすくすと笑いながら、彼女に道を譲りました。「獣たちが皆眠っている。彼らに荒らされぬ森は静かでいい」と木々たちは喜んでいたのでした。彼らは、クイの為に木の実をたくさん落とし、雨水が貯まっている大きな窪みがある場所を教えました。
 クイと驢馬は何日もかけて密林を通り抜けました。その間中、木々が彼女たちを守り、獣たちは静かでしたから、恐ろしいことは何もありませんでした。クイはお礼に、砂漠の民の香を、密林の中に残しておきました。香はゆっくりと燃えていましたから、今しばらくの間は獣を眠らせておいてくれることでしょう。木々たちは安らぎを覚えさやさやと手を振り、クイを見送りました。

 さて、砂漠と密林を越え、次に現れたのは大きな川でした。まるで湖のように広く、対岸は遙かに遠く見えました。その遙か彼方には、神が住まうという崖が薄ぼんやりと聳えています。ついにここまで来たのだ。諦めることなどできるはずがありません。
 天女はクイのためにほんの少しだけ川の水をせき止めました。けれど、大層大きな川でしたので、水の量を減らしても泳いで渡ることは難しそうでした。ましてや、船があるわけでもありませんでした。しかたなく、クイは驢馬にしがみついて渡ることにしました。もうすぐ雨の季節がやってこようとしていましたから、川の水はとても早く流れておりました。クイと驢馬は何度も溺れそうになりながら、どうにか泳ぎ続けました。足が届く場所で、何度も立ち止まり、息を継ぎながら前へと進みます。クイは何度も何度も、愛する国王のことを思いました。早くあの方の元へ帰りたいと思いました。この川を渡り、神に願いを聞き届けてもらいさえすれば、すぐにでも国王の元へと帰りたいと願いました。クイは国王を心から愛していましたし、国も大好きだったのです。
 どうにかこうにか、川を渡りきった頃。性も根も付き果てて、どおと倒れた驢馬は、そのまま死んでしまいました。ここまで共に旅をしてきた驢馬が死んでしまったことに、クイは深く悲しみました。きっと、この驢馬が自分を守ってくれたのだと思いました。
 クイは、感謝と弔いのために、驢馬の心臓を取り出して神に捧げました。そして、神への舞を踊りました。
 異国の王妃を助ける天女の様子を見ていた母性の女神は、自身の住まいである崖の下に捧げられた驢馬の心臓に気が付き、大層感心しました。遙か遠くから人間の女が、よくもたどり着けたものだ。そして、捧げられた舞を気に入り、彼女の願いを聞くことを許したのでした。
 女神は、驢馬の心臓の代わりに、神の国の鳥の心臓を与えました。クイの驢馬は、半獣半鳥の聖獣に生まれ変わり、彼女を崖の上まで運びました。

 クイは女神の御前で、子供を授けて欲しいと願いました。愛する国王の子をその身に宿し、育むことを願いました。
 遥か遠い王国の地より、クイを助けるためにそばにつき従ってきた天女もまた、女神に懇願しました。そして、天女はクイがどんな思いで旅に出たのかを話し、どんな苦労をしてここまでやってきたかを話しました。  女神は、その話を静かに聞き入れ、そして厳かに囁きました。「もしも、そなたが本当に国王を愛しているのならば、泉の水を飲むがいい。そして国に帰るがいい。国王に、そなたの思いを伝え、旅の顛末を話し、もしも彼がもう一度そなたを受け入れれば、いずれ子どもを授かることだろう。もしも、受け入れられなければ、もう一度ここへ戻ってきなさい」
 女神は寛大な心でクイの心を癒し、彼女の望むままに泉の水を与えました。女神は、クイがどれほど神々を敬い、崇めているかを知っていました。女神は、神の舞を踊るクイのことをずっと見てきたのです。女神はすべての女性を見、彼らの助けとなることを惜しみませんでしたから、自身の分身でもある天女を助けとしてクイに与え、聖獣を駆って、国に戻ることを進めました。
 クイは、生涯二度と女神の好意を忘れることはないと心に誓い、女神の泉を後にしたのでした。


 一方、クイが長い旅続けている間、王宮で王妃として振る舞うシオは、好き放題に暮らしていました。国民が納めたお金でものを買い、豪華な食事を毎日食べました。大好きな音楽を聴き踊り、気に入らない者は次々と追放しました。だれも、彼女に逆らう者がいなくなり、彼女のお気に入りの従者たちだけが残りました。多くの王族が彼女を嫌いましたが、だれも彼女を追い出すことはできません。彼女の取り巻きは恐ろしい者達ばかりだったのです。
 ついに嫌気の指した国王は、王妃を遠ざけ、ほとんど顔を見に来ることもなくなりました。そうなれば、シオにとっては好都合です。自分が本当の王妃だとバレる心配もありませんでした。
 そこへ、クイが帰ってきました。神が使わした聖獣に乗り戻ってきた妹に、シオは驚き焦りました。とっくに砂漠か密林か川で死んでしまったものだと思っていたのです。クイの旅は長く、シオはすっかり妹のことを忘れていました。しかし、これは大変。留守の間、正体を隠しておくと約束したにも関わらず、クイの地位を奪うばかりか、国王を蔑ろにし、好き放題に豪遊したことが見つかれば、間違いなくシオは国から追放されてしまうでしょう。これほど楽しい王妃の生活を再び奪われては困ると、シオは困り果てました。
 そこで彼女は、誰にも邪魔されることなくこっそりと国王に直接会い、すべてを話したいと申し出るクイを自分の部屋へ呼び出しました。そして、旅の話を聞くフリをして、実の妹が持っていた剣舞の剣で彼女を殺してしまったのです。

 誰にも気づかれず、知られずに殺されてしまったクイの亡骸は、天女によって女神の元へ運ばれました。
 「哀れなことよ。ようやく、願いが叶ったというのに」女神はそう言って悲しみ、クイを殺してしまったシオに怒りました。彼女は、神の舞い手でありながら、神を裏切ったのも同然だったからです。「神への敬意を失ったあの国に、もはや哀れみも必要あるまい。滅ぼしてくれようか」そう言う女神に、天女は「クイが愛した国を滅ぼすことはできません」と答えました。
 天女は、生まれ出ることのなかったクイの子を引き取り、いつの日にか、母の無念を晴らすために育てました。子は、天女の舞を教わり、母の無念を思って成長していきました。

 さて、幾年かがあっと言う間に過ぎ去りました。神の加護を失った王国は荒れる一方で、何度も大きな戦をしました。多くの民が苦しみ、泣き嘆き、それでも生き続ける人々は、大層王妃を嫌っていました。なぜならば、人々が苦しむ間にも、王妃はお金を浪費し、苦しむ民をあざ笑っては楽しんでいたからです。国王ですら、すっかり王妃を嫌ってしまい、口も利かぬ様子に、人々はかつての仲睦まじい国王夫婦のことを不思議に思うばかりでした。王妃は人が変わってしまった。あれは別人だと、囁く人々もおりましたが、本当のことを知る者は誰もいませんでした。
 ある時、遠方より不思議な噂が広まってきました。天女のように美しく舞う娘がいるというのです。彼女はすべての神々に祝福され、王国を救うために現れたのだと、人々は噂しました。その話を聞いた国王は、娘を呼び寄せました。神の加護を失ってしまった王国に、彼女こそが祝福をもたらしてくれるだろうと考えたのでした。
 東の砂漠と密林と川の向こうから、一人の娘が聖獣に乗ってやってきました。彼女は王前での舞台に降り立ち、恭しく一礼すると、国王へ一振りの剣を捧げ上げました。
 「この剣は、我が母より譲り受けた大切な剣でございます。この剣に掛けて、どうぞ、国王様と王国の皆々様に祝福を」
 天女の舞いを一目見ようと、人々は王前に集まりました。年若い娘は、まるで天女のような美しさを称え、神に与えられた聖獣に人々驚き、感激しました。ついに、国を救う者が現れたのだと、誰もが信じたのです。  娘は天女に教わった通り、剣舞を舞いました。その舞はとても美しく、この世の物とは思えぬほど神々しいものでした。国王は大層喜び、人々は娘と娘の舞を歓迎したのでした。
 舞を終えた娘は、王前にて自分の正体を話しました。
 かつてこの国の女が、子を授かりたいという願いのために女神の泉を訪れたこと、女神がその願いを受け入れ喜びと共に帰還するも、女は実の姉に殺されてしまったこと。自分は、母から生まれ出ることなくこの世に生まれたこと。母の無念を晴らすために、今日この日、国を訪れたことを話しました。
 王は言いました。「そなたの母はさぞ無念なことであっただろう。私もそなたの母を弔おう」娘は答えました「母は、私の父となるはずだったお方を大層愛しておいででした。どうか国王様、その方の代わりに、我が母を想い、忘れることのないよう。神もそれを望んでおられます」
 王は、娘の母の名を問いました。「そなたの母の名はなんというのだ?」
 娘は、剣舞の剣をひらりと舞わせるとその切っ先を、まっすぐに王妃へと向けました。そして、決して狙いを外すことなく剣を投げたのです。かつて、母を殺した剣は、王妃の首に突き刺さり、娘は王妃を殺したのでした。
 そして、娘は自分の母の名前を明かしたのです。
 「あなたの妻は、あなたを心から愛しておりました。どうかお忘れなきよう。決して、惑わされぬよう。神もそれを望んでおられます」
 その時はじめて、国王は王妃が偽物であることを知り、本当の王妃クイを失ったのだと気がついたのです。国王は、悲しみ嘆きました。かつて愛していた王妃を苦しめていたのは自分自身だと思いました。娘の様子を見ていた民もまた悲しみました。クイは誰からも愛されたいたのでした。
 国王は娘を引き留め、至らずも死なせてしまった母の代わりに王国に留まるようにと言いましたが、娘はこの申し入れを受けませんでした。
 「私は母の元へ帰ります。どうか末永く、国王様とこの国に祝福があらんことを」
 娘は、聖獣の背中に乗り、東の彼方へと飛び去って行きました。