4シリングの災難

 ケチな泥棒だったジジィが死んで、ジェダに残されたのはたった4シリングのコインだけだった。
 住んでいた家も、母親が生きていた頃に大切にしていた家財道具も、服やちょっとだけ残っていた食べ物も、すべて借金の代わりに持っていかれてしまったのだ。本当なら、それでも足りないくらいの借金を、ジジィは長年かけて作っていたのだが、怖い顔したヤクザ者も、これからたった一人で生きていかなければならない13歳の少年にこれ以上何か寄越せとは言わなかった。
 そんなわけで、ジェダが最後に持ち出せたのは、口の中に入れて隠すことのできた4シリングだけだったのだ。
 狭く薄暗い路地に座り込んで、細長い足の間に並べた4枚のコインを眺めながら、ジェダは考えた。4シリングあれば、何が出来るだろうか?とりあえず、スッカラカンで虫も鳴かない腹を満たすことはできるだろう。浮浪児同然に育ったジェダにとっての贅沢な食事を手に入れても、4シリングならお釣りが来る。普通に食べたら3食は保つし、節約したら3日は食べられるかもしれない。だが、その後は?
 軍に入って戦争に行くにはまだ年が若すぎるし、街で働くにしても、ジェダのように親のいないやせ細った孤児を雇ってくれるところなんてないだろう。服を買うお金もなければ、雨を凌ぐ屋根もない。身寄りもないし、働ける体力もない。この瞬間、ジェダの明日は絶望的だった。
「少年」
 4枚のコインに打ちひしがれるよりも、達観しかけていた少年の頭上から、知らない声が降ってきた。思わず見上げてみると、まぶしい太陽を遮るように一人に男が、ジェダの目の前に立っている。
「その4シリングの使い道は決まっているかい?」
「なんでさ?」
「よかったら、その4シリングを私にくれないか?」
 ジェダは、ぎょっとしてコインを慌てて拾うと手のひらに握り締めて身構えた。全財産の4シリングまで怪しげな男に持っていかれるなんて、真っ平御免だ。
「怖がるほどのことではないよ。少年。取って食ったりはしないし、ちょっと話がしたいだけだ」
 警戒心に空気を逆立てるジェダとは裏腹に、男は朗らかに笑いながら、路地の脇に腰を下ろした。
 身なりは良く、使い振るわされた服は丈夫で汚れている、大きな鞄を肩にかけ、細枝の杖を持っているところを見ると、どうやら旅人らしい。戦争ばかりのこの国で、武器商人でない旅人に会うのは珍しかった。
「あんた、旅人なの?」
「うん。あちこち歩いて回っている。この国へは初めてきたが、どうも騒がしいね」
「国王が戦争好きなんだ。いつも、どこかの国と戦争してるよ」
「あぁ・・・どおりで」
 続きの言葉がなかったので、ジェダが問いかけるように見上げてみると、男は、物騒な話題にも関わらずまるで今晩の夕食のことのように笑っていた。
「あんた、何しにきたの?」
「何と言われてもね・・・気づいたら、この街に着いていたのだよ」
「武器商人じゃないの?」
「うん。似たようなものだがね」
「じゃあ、なにさ?」
「魔法使いだ」
 今度こそジェダはぎょっとした。そのまま慌てふためいて立ち上がり、その場から一目散に逃げ出したかった。魔法使いなんかと関わったら、後の命がどうなるか分からないからだ。
 だが、逃げ出そうとしたジェダの手を、魔法使いはしっかりと握って離さなかった。
「4シリングが欲しいならあげるよ!だから、離してくれよ」
「さっきも言っただろう?取って食ったりはしないよ。悪い話ではないから。聞きなさい」
 魔法使いに会ったからには、もういいことはないだろう。でも、それ以外にいいことなんてあるだろうか?どうせ、どん底にいるのだから、ジェダにはこれ以上悪いことなんてないように思えたから、しぶしぶ魔法使いの隣に座った。
「その4シリングを私にくれるのなら、代わりに、私は言うことを何でも聞くことにしよう。おまえが”もういい”と言うまで」
「なんで、そんなこと言うのさ?わりに合わないよ」
「雇われる、という事実が大切なのだよ。私にとってはね。たとえ、嫌だと言っても、ついて行くよ。少年」
 ジェダの心配をよそに魔法使いがあまりにあっけらかんと笑うので、少年は困り果てた。この奇妙な魔法使いは、何が何でもジェダにくっついていたいらしい。その理由は分からないけれど。
「本来魔法使いを雇うには、大金がかかるのだよ。おまえは4シリングで、どんな富豪でも手に入れられない力を使えるのだよ。わりに合わないというわけではないだろう?」
「うまい話には罠があるって、ジジィが言ってた」
「ふん。良い教えだな」
「じゃあ、なんで・・・」
 思わず食って掛かろうとしたが、ジェダはそれ以上、言葉を続けるのをやめてしまった。そんなことしたって、無駄だということは、魔法使いの顔を見なくても分かっていたからだ。
 どうして、こんな厄介事ばかりやってくるのだろう。ゆっくりと落ち込むこともできないなんて。ジェダは、つくづく自分の不運を思ってため息をついた。
「分かったよ。好きにしなよ!」
「あぁ・・・ありがたい。少年よ。感謝する。それで、おまえの名前はなんと言うのだね?」
 少年は、ずっと握り締めていた4シリングのコインを、魔法使いに差し出した。何の変哲もない古臭いコインだ。削れた表面には星が刻まれ、たくさんの人に使われ渡り歩いた結果、元の色も分からないほど黒ずんでしまったそのコインは、ジェダの父親が最後に母親に渡したものだった。
魔法の力など、何もありはしない。
「ジェダ」
「ふむ。良い名だ」
「あんたは?」
「アルファ」
 魔法使いはゆらりと立ち上がると、少年から受け取った4シリングは、腰にぶら下げた小さな袋の中に大事そうに入れた。
「少年ジェダ。名を交換した者よ。しばし、ともに歩くとしよう」
 こうして、ジェダは魔法使いアルファに出会った。そして、災難に巻き込まれることになるのだ。

 アルファは自分で言ったとおりに、ジェダの言うことをなんでも叶えてくれた。ぼろぼろになった服を買い換えたし、汚れた足のために、新しい歩きやすい靴を探してくれた。
 それらをすべてあわせたら、4シリングなんかじゃ足りないくらいのお金が必要だったが、アルファはジェダが思っていたよりもずっとお金持ちで、湯水のように財布からコインを出した。4シリングを超えたマイナスを気にする様子もなく、最後にはジェダの方が遠慮深くなった。
 ジェダの姿は浮浪児から、ごく普通の子供に変わった。親はいないけれど、アルファは身なりだけはしっかりと整えてくれた。これ以上望むことも思いつかなかった。
 だから、最後にお腹いっぱい食べさせてくれたら、”もういい”と言うつもりだったのだ。感謝できないくらいの感謝の言葉を述べて、たぶん、それでこの風変わりな魔法使いも納得してくれるだろう。
 だが、そうするよりも前に、別の出来事が起こってしまう。あまりよくないこと。つまりは、厄介事だ。
 アルファとジェダは、一つのテーブルに座っていた。テーブルの上にはいくつものお皿が並べられている。どれも、ジェダにとっては豪華な食べ物ばかりだったが、アルファはほとんど手をつけず、ニコニコ笑ってばかりいる。それが、どうにも居心地が悪くて、ジェダは食事をしながらアルファを見つめることが出来なかった。
「あんたは、食べないの?」
「食べなくても生きていける体なのでね。もちろん食事は楽しいが、邪魔が入るのは好きではないのだ」
「・・・邪魔?おいらの事かい?」
「まさか。あいつらのことだよ」
 ふいにアルファは振り返り、がらんとした店の入り口の方を指差した。そこには、たった今やってきたと見える男が3人立ち尽くし、じっとアルファとジェダを観察しているようだった。
 ジェダが驚いたのは、彼らの服装だ。群青のマントを肩にかけ、騎士らしい軍服の胸元に光るのは国王の近衛騎士であることを示す、金の剣の紋章だった。この町に生まれ育ったジェダでさえ、ほとんど見たことのない、王宮の騎士たちがそこに立っていたのだ。
「アルファの知り合いなの?」
「私は知り合った覚えはないがね」
 3人の騎士は、瞬きする間にさっと近づいてきてジェドたちのテーブルを取り囲んだ。
「魔法使い殿」
 一番偉そうな長身の騎士が、硬い声で言う。
「我が名はアーガル。我が王からの書状、受け取っていただけたでしょうか?」
「おまえの名も、おまえの王の名も、私は訊ねた覚えはないがね」
 近衛騎士相手にのほほんとしているアルファの様子に、ジェダは心落ち着かない。騎士を煙に巻こうなんて考えないほうがいいからだ。血なまぐさい戦王の目に留まれば、ひとたまりもないだろう。おちおち食事をすることも出来ず、少年は膠着したまま、不安げにアルファを見ていた。
「私は、あなたの名を存じ上げております」
「ならば、呼ばない方がいい。魔法使いのしきたりでは、名乗らぬ相手に名を呼ばれることを良しとしないのでね。二度とは見れぬ顔になるかもしれない」
 そのとき初めて、自分がどれほど気安く魔法使いの名を口にしていたのかとジェダは思った。その恐ろしさのあまり思わず、口を押さえる。
アーガルの表情は、かすかに焦ったように歪んだが、さすがは国王付の騎士だけあって、冷静さを失うことはなかった。
「では、魔法使い殿。我が王の申し出を受けてくださるかどうか、答えを伺いたく、我ら参上いたしました。是非に王宮へお越しいただけませんでしょうか?」
「否。私は行かないよ。雇い主が食事中なのでね」
 ジェダは凍りついた。ぽかんと口を開けて、アルファを見てもあいかわらずの笑顔があるだけ。恐る恐る3人の騎士を見ると、鋭い目つきでこちらを睨み付けている。
 まともな教育なんて受けていないけれど、ジェダは馬鹿ではないから、自分がどれくらい危ない立場に居るのかすぐに理解できた。普通、雇われ人は2人以上の主に雇われることはないから、アルファは国王に雇われたくないという理由で、ジェダを選んだのだ。たった4シリングでも、雇い人は雇い人だから、ジェダが居なくならない限り、国王に雇われることはないのだ。
 嵌められた。そう思ったのは、ジェダだけでなく騎士たちも同じだろう。
「あなたの力があれば、今すぐにでも戦は終るのです!戦死する者もなくなり、出兵した者も戻る。我が国王には、あなたの力が必要なのです」
「おまえ達の王に伝えるといい。私は、戦に行くつもりはないとな」
「アルファ・・・!」
 ごく静かにはっきりとそれだけを答えるアルファに、不安のあまりジェダは思わず彼の名前を呼んだ。
 魔法使いと契約している以上、二度と見られぬ顔にされることはないけれど、アルファの力を強く求めているアーガルたちには、立ちはだかる邪魔者として強く意識されたことだろう。アルファの名を口にして、初めてそのことに気づいても、手遅れだった。
「それでも、あなたに来ていただけなければ困ります」
 ひゅっと鞘走る音。アーガルがサーベルを抜いたのだとジェダが気づいた時にはすでに、切っ先が少年の首元に突きつけられていた。
「あなたが、我が王の要求に答えないと言うのならば、こちらも実力行使する他ありません」
 アルファは、驚きのあまり失神しそうになるジェダの腕をしっかりと握り締めた。
「可笑しなことをする男だな。これは何の脅しだね?」
「雇い主がなければ、あなたの身は自由だ」
「私が承諾しなければどうする?」
「我が剣に賭けて、あなたのお力を貸していただくまで。すべては我が国のためです」
 アーガルは騎士らしく、凛とした優美さと一歩も譲らない頑固さを以って、魔法使いと向き合っていた。他の2人もまた、剣に手をかけ、アーガルの動きにあわせていつでも飛び出せる体勢をとっている。
 ジェダは、低い悲鳴を上げて怯える声を上げることしかできず、アルファにすがりついた。
 そして、アルファは彼らしくもなく小さくため息をつく。
「戦死する多くの人間の命よりも、一人の命を厭わぬということか。正論だな」
 魔法使いの言葉にジェドはびくりとしてアルファを見上げた。
「良かろう。おまえたちの要求を受け入れよう。私のわがままのために、この少年を死なせるのは忍びない。だが、一つ条件がある」
「なんなりと」
「まだ、この少年は最後の願いを言っていない。それが終われば、今夜にでも王宮に参上しよう。どうかね?」
「結構です」
 何事もなかったかのように、アーガルは剣を引いた。
「あなたのお力添え、感謝します」
 ものの数分の出来事であったが、ジェダにとってはこれまでの人生で一番、恐怖に怯えた数分だった。殺されるのかと思ったのだから。だが、アーガルと2人の騎士は、現れたときと同様に、颯爽とした足取りで迷うことなく店を出て行った。
 黙ったままこの奇妙なやり取りを見ていた客たちが、ざわざわと騒ぎ出しても、ジェダは呆然としていた。アルファが不安そうに肩を揺するまで、少年は忘我の彼方にいたのだ。
「ジェダ。大丈夫かい?」
「だ・・・大丈夫・・・なわけないだろ!!死ぬかと思ったじゃないか!!」
 引き戻されると同時に、ジェダは恐ろしさと興奮のあまり騒ぎ立てた。4シリングなど渡すのではなかった、と心から思いながら。
「申し訳ない。おまえを巻き込むつもりではなかったのだ・・・」
「じゃあ、どういうつもりだったのさ!?おいらみたいな孤児なんか死んでもいいと思ったんだろ。だから、4シリングなんかで・・・!!」
「ジェダ・・・話を聞いてくれ」
「嫌だね!」
 言うが早いか飛び出すが早いか。ジェダは食べかけだった料理もほっぽり出し、一目散に逃げ出した。
 アルファは呼び止めなかった。
 かまわず、ジェダは街並みを走り抜けた。戦争ばかりのこの国で、街角にいる人間は少なく、がらんとした殺風景な情景の中を、少年は見知った路地の奥へと走った。最初にアルファに出合った場所へ。そこは、街へ帰ってくる兵士たちが必ず通る、家路への道だった。
 昔、ジェダの父親が戦に行くと言い出したとき、母親は泣いて止めようとした。二度と戻れないかもしれないと分かっていたからだ。それでも、戦で稼ごうと決めていた父親は家を出て行き、母親は思いつめるあまり病に倒れた。そのうち、戦場から戻ってくるものが少なくなり、母親が死に、貧乏なジジィに引き取られても、ジェダは父が帰ってくるのを毎日待ち続けてきた。あの路地裏に座って。
「少年よ」
 ふと声がしても、ジェダは見上げなかった。アルファだと分かっていたからだ。どれだけ早く走ったところで、この魔法使いは追いついてきただろう。魔法使いとは不可解で奇妙な力を使うものだから。
「もういいよ。さっさとどっか行けよ。別に歓迎してたわけじゃないし。あんたと一緒にいると、厄介事ばかりだ!」
「そうだな。疫病神だとよく言われるよ。そんなつもりはないのだがね」
 言いながら、アルファは最初にここへ来たときと同じように、ジェダの隣に座り込んだ。
「長く旅をしているとね。厄介事ばかりずるずると引きずって持ってきてしまうらしい。どこへ行っても疎まれてしまう」
「でも、この国ではアルファの力が欲しいって言う国王がいるじゃないか」
「彼が、善人ならば良いが・・・。必ずしも、そうとは限らないだろう?それに、私は戦が嫌いだ」
「おいらだって、嫌いだよ!」
 アルファは、ジェダの4シリングの入っている小さな袋をベルトからはずし、少年に渡した。
「この4シリングはおまえに返そう。そして、最後の望みを叶えたら、私はあの強欲な国王の元へ行かなければ・・・」
「どうしても、行くの?」
「魔法使いは戦場では重宝される。私ならば、敵兵を全滅させることも容易いと、国王は思っているらしいが、戦を終わらせたいのならば、もっと簡単な方法があるのだがなぁ」
「どんな方法なの?」
 相変わらず、アルファは答える気もないように、能天気に笑うばかりだた。だが、その横顔には、ほんの少しの感傷が混じっていたかもしれない。
「じゃあ、戦争を終わらせてよ。どんな方法でもいいよ。今すぐに」
「それが、おまえの最後の望みなのかい?」
「それでいい。どうせ、他に願うことなんて思いつかないし」
「宜しい。その願いは、明日の朝には叶うだろう。そして、おまえとはこれでお別れだ」
 アルファは、重い腰を持ち上げてゆらりと立ち上がった。
「あ、アルファ・・・あのさ」
追いかけるように慌てて立ち上がったジェダは、自分の最後の財産である4シリングのうち、コインを一枚だけをアルファの手の中に押し込んだ。
「ありがとう」
 そのコインをじっと見つめてから、アルファは問いかけるようにもう一度、そのコインの意味を問うように少年を見た。
「残りはさ・・・。おいらも生きていかなきゃならないし」
「そうか。うん・・・そうだな。少年よ。これは、ありがたくもらっていくよ」
 そう言って、現れた時と同じように、まるで風か何かに吹かれていくように、魔法使いは去っていった。
 もう一度声をかける間もなく、ジェダはぼんやり立ち尽くした、これは夢だったのだろうか。そうだったら、どれだけ良いだろう。結局のところ、少年は一人ぼっちで、手の中には3シリングが握られているだけなのだから。


 翌日、アルファという魔法使いが夢ではなかったと、ジェダは嫌でも知ることになる。
 戦好きの王は、真夜中に死んだ。
 暗殺でも自殺でもない。原因不明の自然死だと街中には知らされた。
 クーデター絡みの陰謀ではないか、といくつもの噂が飛び交ったが、真実はジェダしか知らなかっただろう。
 魔法使いは何だってできる。とても簡単に戦争を終わらせることも。
 戦王を殺したのは、ジェダの4シリングの災難だっただけのことだ。