落ちる砂の話

 カルストの銃使いローが、なぜついて来たのか、アルファには分からなかった。
 自分が生まれ育った街を出たこともなく、出ることさえ考えることのなかった青年が、何を求めて旅に出るのか、その答えをアルファは持ち合わせていないし、たぶん、ロー自身さえ持ってはいないだろう。それでも、むっすと膨れっ面で付いてくる理由くらいはあるだろう。
 最後の街を出て3日。乾ききったストーラ砂漠の消えかけた街道を歩き続けるアルファの後ろには、まるで監視者のように、鋭く眼を光らせたローが付いて来ている。アルファが立ち止まれば、向こうも止まり、右を見れば、同じ方角を見る、という具合である。
 一度も声をかけてくることもないから、アルファもまた声をかけることはなかった。たぶん、声をかけてみたところで、ローが答えないだろうことが分かっていたからだ。それくらいには、この頑固な銃使いのことを理解しているつもりである。
 そんなわけで、砂漠を渡る2人の旅人は、言葉を交わすこともなく、同じ距離を保ったまま歩き続けるのだった。

 ついに、四方八方、空と地が砂と岩に覆われて、行く先も、来た場所も分からなくなった頃。道しるべは、街道を示す白い石柱だけだった。もっとも、この石柱もまた劣化して崩れているものがほとんどだから、慣れたものでなければ一度見失ったら、永遠の砂の中で死ぬことになるような場所だ。
 アルファはふといいことを思いついて立ち止まった。
 ギラギラと照り付ける日は西に傾き、東を示す影は長くなりつつある。
 後ろを振り返ると、互いの顔が見えるくらいの位置でローもまた立ち止まっている。慣れない砂漠の旅で、相当疲れているように見える。
「ロー」
 名を呼ぶと、相手はひどく不快そうな顔をした。
「私は街道をはずれるが、おまえはどうする?共に行くのなら一緒の方がいい。道を失えば、二度と戻れなくなるぞ」
「おまえの指図は受けない!!」
 やはり、距離を縮めることもなく、声を張り上げて答えるローの頑固さは、生まれ持ったものだろうが、アルファにはそれが可笑しくてたまらなかった。
「指図じゃない。忠告だ」
「オレの行く先はオレが決める。おまえじゃないだろ!!」
 魔法使いは、ふっと鼻で笑った。
「ならば、街道沿いにあと2日間歩き続ければ、オアシスがある。進むもよし、引き返すもよし、好きにするといい」
 それだけ言い残して、アルファは再び歩き出した。街道ではなく、何も無い砂漠に向かって。彼が、歩む先には、巨大な岩が鎮座している。太古から、そこにあり、砂に埋もれ、再び現れ、空へと突き出した岩の縁へ、アルファは向かう。
 その後は、やはりローがついてくることは分かっていた。あの男に、明白な目的などありはしないのだろう。それでも、過酷な砂漠の旅を黙々と続けてきた理由があるとすれば、それは単純な興味と、銃使いの誇りとでもいうのだろうか。そんな古びたものを大切にしてきた彼らを理解できるほど、アルファは銃使いを知らないが、それでも、彼自身もまたローという男には興味があった。だから、忠告したのだ。
 それに、1人ではない旅が、案外楽しかったのだ。旅は道連れ。言葉を交わさなくとも、共に歩む者がいるというのは、悪いものではない。

 夜がやってくる頃には、アルファとローは岩の淵まで登っていた。ゆるやかな坂からはじまり、徐々に急になったその巨大な岩は、人がやってきたことに驚いたように、ばらばらと小石を落として、追い返そうとしたのだが、魔法使いは身が軽く、銃使いは忍耐強かった。
 岩の上はちょっとした広場になっており、少し遅れて上ってきたローがようやく顔を出した時、アルファは小ぶりな石を組んで火を炊いていた。
「大丈夫かい?」
「何が」
 息を切らして疲れた顔をしているくせに、ローの返答にはあいかわらず棘がある。
「こっちへ来て休むといい」
「誰が、おまえなんかと!」
 ローは、どかりと腰をおろして、アルファに背を向けてしまった。つっぱねたところで、何の説得力もないのに、そんな肝心なことに気づけないほど、ローという青年は意固地になってるらしい。
「まだ、少し時間がある。食事は済んだかい?さっき、岩場で新鮮な肉を手に入れたんだ。一緒にどうだい?」
「結構!オレには、干し肉がある」
 ぷいっと背を向けたまま、固く塩辛い肉を食べ始めるローを横目にしつつ、アルファはウサギを料理しはじめた。
 しばらくして、肉がこんがり焼けるいい匂いが、漂い始めると、ローの鼻先へも否応なく運ばれていった。そうなったら、空腹を抱えたローは嫌でも気を引かれる。保存の利く干し肉ばかりでは、舌が痺れるし、焼ける肉の匂いは、砂漠を旅した後でなくても、格別に食欲を誘うものだ。
「おい。魔法使い。それも魔法か?」
「いいや。ただの料理だよ。一緒にどうだい?」
 アルファの笑顔を、ローは警戒しきっていたが、しばらく考えてから、のろのろと魔法使いのそばまでやってくると、何も言わずに焼き上がった肉を受け取り食べはじめた。
「故郷の岩塩と、異国の胡椒だ。それと、君の空腹かな」
 おどけて言うと、ローはまた不機嫌そうに顔を背けた。彼が肉を食べる間、アルファは何も言わず、手も出さず、一切れの国をちびちびと食べただけだった。
 ローは、アルファに背を向けたまま、最後の骨をぽいと捨てた。バツが悪そうに身じろぎするその姿を身ながら、アルファはあいかわらず口を噤んでいる。
 妙な沈黙に耐えかねたのはローの方だった。
「こんな所で、何するつもりなんだ?」
「君は、ちょうどいい時にこの砂漠を通りがかった。もう、しばらくは見られないんだ」
「何を…!?」
 イラ立たしげにローは振り返る。ぶつかるのは、落ち着き払ったアルファの笑顔だけ。
「世界には、君の見たことのないものがたくさんある。もちろん、私にも。だから、旅をするんだ」
「答えになってない」
「君が求める答えは目の前にあるが、それを言葉にしてしまえば、ひどく陳腐なものになってしまう。言葉で理解するよりも、その目に映すことの方がすっと意味があるものだ。そうだろ?」
「分かんねぇよ!魔法使い」
「見ることが仕事なのだろう?銃使いよ」
 アルファはかすかに笑って言うのを最後に、ローには興味を失ったように砂漠へと目を向けた。
「おい! おまえ!オレの話を…」
 反射的に立ち上がり、魔法使いの肩につかみかかろうとした時だ。アルファは、厳かな仕草で、指先を砂漠へと向けた。
「見ろ」
 そこには、月明かりに照らされた広大な砂と岩の大地が広がっている。かすかに街道と分かる白い石柱以外なにも見えない。
「なにも、見えねぇ!」
「ならば、おまえの目は盲目なのだ」
 アルファは冷たく言い放つ。まるで、別人のようなその口調に、ローはただ呆然としたまま突っ立っている。そして、もう一度、砂漠を見つめた。
 ただ、何もない砂漠だけが広がって見える。少なくとも、ローにはそう見えた。
 しかし、アルファには、砂漠は違う形に見えていた。
 月明かりに反射して、きらきらと輝く砂が、浮かび上がり始める様子を、アルファとロー以外に誰が見ることができただろう。ゆらゆらと揺らめきながら、まるで空に吸い寄せられるように浮かび上がっていく砂の粒。
「なっ…なんだ。あれは…?」
 ローは我知らずつぶやいて、呆然と立ち尽くした。
 それはまるで雪のようだった。少なくとも、雪を知っている者なら、そう言うだろう。ただし、空からではなく、地から降る雪だ。
 光る砂の雪は、徐々に広がっていった。
 はじめは、目の前の砂漠だけだったのが、アルファとローがいる岩の周りにまで広がり、一面の砂が光り始める。岩場の窪みにちょっとたまった砂までもが光り、少しずつ天へと昇り始めたのだ。その様を、まじまじと見つめ、ローは声を失ったまま、口をぱくぱくさせた。
「砂さえも、故郷が恋しがっている。彼らは、故郷の在り処を知っているが、しかし戻る事は許されない。なぜなら、この地と月には、岩よりも重く羽根よりも軽い暗い闇が広がっているのだから」
「何言ってるんだ…?おまえ」
 魅入られたように砂漠を見るめるアルファの目には、無数の砂の光が反射して見えた。その視線は定まらず、まるで、瞳の中に無数の眼を持っているように、ローには思えた。
「この砂漠の砂は、月の力によって持ち上がる。時には、風の力を借りることもあるがね。理由は分からないが、この砂漠には、月の力が強く働くのだろう。月に一度、または半年に一度、または数年に一度。こうやって、月は砂を持ち上げ、風に飛ばすのだ」
「それに、なにか意味があるっていうのか…?」
「いいや」
 アルファは、きっぱりとした口調で答えた。いつものローならば、不機嫌になるような答え方であったが、月の砂に魅入られた今、彼はぼんやりとするばかりで、何も言わなかった。
「こんな場所を、私は他に知らない。長く、旅をしてきたがね。理由も分からない。説明などできるものではないのだ」
 舞い上がる砂は、頭上へ昇り、見上げてみれば、まるで星が何千、何万にも増えたように思えた。ゆらゆらと揺れる星。やわらかく風が吹けば、砂はさぁと音を立てて、夜闇の中を流されていった。
「理由のない不思議も、この世にはあるということだ。若き銃使い」
 ローは、どこまでも続いていきそうな、砂の星を見上げた。もはや、アルファの言葉も、耳には入っていない。
 聞こえるのは、砂の鳴くかすかな音だけだった。
「おまえの、目はいつでも目の前を見ているが、その先に、答えがあるとは限らないのだ」
 あとのことを、ローは憶えていない。


 はっと眼を覚ますと、ローは岩の上で大の字になって眠っていた。
 慌てて身体を起こしてみると、体中が白く曇っている。それが、細かい砂なのだと気づいてはじめて、昨夜の、目に余る光景を思い出した。
「魔法使い!!」
 とっさに、呼んで見渡してみると、ローとは少し離れた岩の上に、アルファは座ってローの方を見ていた。その顔には、いつもとおり、捕らえ所のない笑顔。
「目が覚めたかい?」
「な…なんだ!?この砂…。うわ!服の中まで!?」
 ローは悲鳴じみた声を上げて、立ち上がり、全身に纏わりついた砂を払い落としはじめた。が、どれだけ払ったところで、細かい粉のような砂は、そう簡単には落ちてくれない。
 無理もないことだ。舞い上がった砂は、決して地から離れることはできない。月の力が弱まれば、必然的に砂漠の上に落ちてくるというわけである。
 そんなローの様子を眺めながら、アルファは笑った。
「さぁ。出発しようか?ロー」
「…どこへ?」
 すました顔のアルファを一瞥し、ローは不機嫌な声を上げる。見れば、アルファの方にはまったく砂の汚れがない。
「てめぇ!知ってて…!!」
「もう少し行けば、オアシスだ。そこでゆっくり汚れを落とせばいいさ」
 そう言って、アルファはさっさと立ち上がると歩き始める。ローが眠っている間に、とっくに支度を済ませていたのだ。日も、すっかり昇っている。疲れていたとはいえ、ローはかなり寝過ごしていた。
「たまに、道連れがいるのも悪くはない。そうは思わないか?」
「だれが、おまえと…!!」
 ローは、真っ白に砂を被ってしまった自分の荷物をひったくって、アルファを追い越し歩き出す。まだ、白い髪を必死に振るいながら。
 その後ろ姿を見ながら、アルファはらしくもなく、声をあげて笑う。不機嫌そうに振り返るローにも構わず。笑いは、我知らずこみ上げてくるのだから、しょうがない。

 独りを苦と思ったことはないが、たまには、こういう旅も悪くはない。