石の巨人の話

 アルファが訪れたのは、もはや城壁の面影さえない、ささやかな石垣沿いにある、奇妙な形をした丘だった。
 道すがら聞いた噂では、その場所は古い遺跡らしかった。実際に近くに行ってみ初めて、大昔の採石場であった場所のようだと、アルファは思った。もともとは大きな山を削りだして作られたものであったらしく、人工的に削られえぐられ、自然ではありえない形に変形したまま、その場に残されていた。今では、森が辺りを覆い尽くしており、平野も岩場も、かつての荒々しい石の面影はなく、ひっそりとした可笑しな形をした山でしかなくなっていた。
 それでも、ひとたび足を踏み入れてみれば、採石場であったころの面影がそこかしこに見て取れた。長年の間に削られ丸くなってしまってはいたが、あちこちに足場となる階段が刻まれていたし、杭を打った穴や、道しるべとなる石碑が残されている。かつてここで暮らした人々の面影となる、建物の跡や、使われていたらしい道具などが土に埋まって転がり、歴史に埋もれた遺跡そのものだ。不思議な場所だった。人間が去って、もう何百年も何千年も立っているはずなのに、自然に覆い隠されない人的な痕跡が、風化されたまま残されている。自然の一部でありながら、未だに去っていった主人を待ち続ける、忘れられた廃墟のようだ。
「魔法の壁を築いた跡なのだな・・・」
 もう何年も人の訪れたことのなかった山の中に、アルファの声は深く浸透していった。
 近くの街から辿ってきた低い石垣は、その昔高い壁であったことをアルファは知っている。その壁が築かれたのは、アルファが生まれるよりもずっと前のことだ。壁の材料となる岩を削りだすために、各地に採石場が作られたのだとすれば、ここもそのうちの一つなのだろう。
 険しい岩路を、杖を頼りに登っていくアルファは、時々奇妙な岩を見た。それは、人型をした巨大岩で、だいたいの場合、岩場の中に倒れている。中には、崖から落下したように瓦解しているものもあった。立ち尽くしたままのものもあった。
 古い伝統の中には、岩で人型を作る風習が残っているところもあるが、アルファが見た人型の岩は、崇拝する神や守り神の姿ではなく、もっと手足が長く実用性に富んだ形のものばかりで、無闇に量産された偶像とは違っていた。
 難儀しながら岩場をよじ登るうち、アルファは開けた場所に出た。標高自体は低く、少し高い丘程度の山なのに、切り立った岩は崖のようになっていたから、身軽な魔法使いも、さすがに疲れ果てて、平野につくなりぺたりと座り込んでしまった。
「なんとも、不思議な場所だ」
 辺りは静かだった。岩を切り出していた現場と思われる只中であるにも関わらず、そこかしこに頑丈な樹が伸び、水が入り込んだ岩肌は削られて川になっている。涼しげな鳥の声や、人々が去った平和な森に暮らす動物たちの声のほかには何も聞こえず、不可視の何か強力なものに守られているかのような、不思議な安心感に包まれて、心地よい風が頬を撫でていく。
 ふと辺りを見回してみると、アルファは今自分が座っている石が、例の人型であることに気がついた。
 興味を引かれ、覗き込んでみると、顔らしいところに、三つの穴が、風化して丸みを帯びた岩肌にぽっかりと空いていた。耳もなければ口もない。たった三つの穴だけだ。両の目の穴に額らしきところに第3の穴が見て取れる。どうやら、この岩の人型は、三つ目として作られたらしい。
 さらに、興味をそそられ、詳しく検分してみようと額の穴に手を触れようとした時だった。
「おまえ、それに、なにを、している」
 がらがらと耳障りな岩をこする音に混じって、その声ははっきりとアルファの耳に届いた。ふいに地響きが起こり、小枝で羽を休めていた小鳥達が一斉に飛びたつ。まさか、足下の巨人が動き出したのかと思い、慌てて飛び降りたアルファだったが、どうやら彼が動き出したのではないらしかった。声が響いた森の中で、がさがさと不穏な動きが近づいてくるのが目に入った。
「それに、ふれるな、たちされ」
 生い茂った木々をなぎ倒し、のっそりとした足取りで現れた声の主は、黒と灰のごつごつとした岩肌を持った巨人だった。アルファの身の丈ほどもある大岩を3つ組み合わせたような胴体と、ずんぐりとした手足は頑丈そうに太く、その豪腕に不似合いなほど繊細な指先が岩を削って掘り出されている。体中が苔だらけで、錆に似た色に変色した顔とおぼしきところには、やはり3つの穴があった。だが、先ほどまでアルファが検分していた死した巨人とは違い、現れた巨人の額には翡翠色の石が光っている。
「これは、驚いたなぁ。古代魔法の人造生物とは・・・」
 石の巨人は、のそりのそりと身を揺らし、アルファへと向かってくる。重く硬い岩を、どのようにして融合させているのだろうか。巨人の体は柔軟に動き上下し屈折し折り重なっている。動きはぎこちなくとも、そこに生み出される芸術的な美しさに、魔法使いはぼんやりと見惚れていた。
「おまえ、だれだ、たちされ」
 アルファには珍しいことだったが、元来一つのことに気を取られると他のものが見えなくなる性質だから、巨人が目の前にやってくるまで、魔法使いはそのまま立ち尽くすばかりで、後退ることも身構えることも忘れていた。
 だから、唐突に石の拳が振り下ろされた時、はっとして身をかわすことが出来たのは、偶然のようなものだった。もしも、いまだその場で足をすくませていたら、ぺしゃんこにされていたことだろう。
「私は敵ではないよ。おまえを、訪ねてきただけだ」
「たちされ」
 再び巨人が石の両腕を振り回す。近くにあった木が木っ端微塵に粉砕され、同胞である死した巨人の石が半分ほど砕け散った。
 そのでたらめな行動から、彼らの知能は低いことが分かる。元々が岩の体であり、大きな体を動かすだけの魔法が彼の体に宿っているとしても、頭脳はそれほどでもない。
 アルファは、飛んで拳を避けながら、さっと杖を振りかざした。強力な攻撃力を秘めた魔法の杖が、巨人の腕を打ち据えると、岩は砕け、腕半ばが地面にどすんと落ちた。さすがの巨人も、これには驚いたのか悲鳴にも聞こえる耳障りの摩擦音を発しながらたたらを踏んだ。2.3歩よろめき、どすんと尻餅をつくと、表情のない、穴の空いた眼でアルファを見つめた。
「まほうつかい、おまえ、まほうつかい」
「如何にも。私の名はアルファ。魔法使いだが。おまえは何者だ?」
 表情など分かるわけもない巨人の顔の中に、アルファはたしかに歓喜の色を見た。
「これ、まっていた、まほうつかい、もっどってくる、こと」
 石の巨人はすっと立ち上がると、がらがらと笑いながら、不自由な両手を天へと伸ばした。
「みよ、いしのいちぞくたちよ、まほうつかいが、もどってきた、これらに、つとめが、もどってきた、みな、あつまれ、みな、あつまれ、どうほうたちよ、よろこび、あつまれ」
 落雷に声があるのだとしたら、おそらくこんな声をしているのだろう、とアルファは思った。地響きと、岩の瓦解する音が重なり合い、遠雷のようにどこか遠くから聞こえてくる声が、かすかに聞こえる。口のない巨人の声は、額の石から発せられるらしく、かすかに明滅しているように見えた。
 彼の声は天轟き山中に響き渡った。目の前で声を聞いたアルファが思わず耳を塞ぎ、迫力に思わず眼を閉じたほどのその声に、答える者はなかった。響きが弱まり、木霊が消え、辺りが静まり返っても、そこにあるのは、時代から取り残された静寂だけだ。
「巨人よ。ここには、おまえ以外だれもいない。皆、死んでしまったのだ」
 静寂を破るアルファの言葉に、石の巨人の生き残りは、どすんと地響きを立てて、その場に座り込んだ。石であるにもかかわらず如実に感情を表す、ごく単純な巨人の顔は、落胆と絶望に満ちていた。
「なんということだ、ようやく、ようやく、あるじが、もどったというのに」
「残念だが・・・石の巨人よ。私は、おまえたちの主人ではないし、おまえに命令するつもりもない、通りすがりの旅人にすぎない。私は、おまえが、待っている者ではないよ」
「そんなはずはない、まほうつかいたちが、これらをつくった、まほうつかいたちが、これらをおいていった、まほうつかいたちが・・・」
 がさがさという不明瞭な響きが、巨人の言葉の中に混じったかと思うと、ふいに、その声は消えた。ぷつりと、糸が切れるように、石の巨人は沈黙した。

 その昔、魔法が完成されて間もない頃。優れた魔法使いは、古代魔法で生物を創り出したと伝えられている。それは、アルファが生まれるよりもずっと前のことで、その頃すでに、忘れ去られた魔法の一部であった。
 アルファの知っている数少ない魔法生物の中でも、目の前の石の生物は、最も古く巨大だった。そのためか、宿った魔法は粗悪であり、生命を維持する古代魔法の一部は劣化し、力が弱まっている。寿命が近いのだろう。
 石の巨人が再び眼を覚ましたのは3日後のことだった。
アルファはそれまでの間、彼が守ってきた仲間達の遺骸を見て周り、静かな遺跡の中を調べて回ってみたけれど、そこには時の空虚しか残されておらず、もはや無意味な残骸でしかなくなっていた。それでも、一人この場所を守ってきた石の巨人は、ただ一人、戻らぬ主人を待ち続けてきたのだろう。
 アルファは、彼の側に座して待った。
「みしらぬ、まほうつかいよ」
 巨人は自分が眠っていたこともまったく知らないという風に、唐突に声を発した。
「あるじたちは、どこへ、きえた。これらを、おいて、なぜ、きえた」
「彼らは、もうずっと前に死に絶えてしまったよ」
 巨人は、感情の薄れた目をアルファに向けた。
「これらは、かべを、つくっていた。あるじたちの、ために」
「その城壁も、今はもうない」
 驚くわけでもなく悲しむわけでもなく、巨人は黙したままだった。一時の歓喜などなかったかのように、彼は感情の欠片をなくしてしまっていた。
「大きな戦争があってね、城壁は崩されたのだ。ずいぶん前のことだよ」
「そのせんそうを、おまえは、しっているか」
「あぁ・・・若い頃にね」
「おまえも、たたかったのか?」
「いいや。多くの魔法使いが無意味に死んでいっただけだったよ」
 しばし考え込むように俯いてから、石の巨人は納得したという風に頷いた。
「魔法使いは散り散りになり、おまえたちを作った者たちは死に絶えた。他の者はおまえたちのことを忘れ、もう誰も、おまえたちを覚えている者はいない」
「そして、これらも、しにたえた」
 巨人はポツリとそうつぶやいた。
 作り物の頭脳で考え納得した事実に、巨人はしばし深く沈黙した。がさがさという、狂気じみた音が彼の頭の中から聞こえてくるような気がした。時間は生き物を狂わせる。石でできた生き物であってもまた然り。
 沈黙の巨人と魔法使い以外の生き物は、皆声を上げて飛び交っているというのに、時が止まってしまったかのような気分だ。
「石の巨人よ」
 普段ならば、そんな感慨を持つ気もないのに、生気もなく感情も失いつつある巨人が哀れに思ったのだろうか。それとも、単なる気まぐれだろうか。アルファは小さくため息をついた。
「もし良ければ、私と旅をしないか?」
 はたと、まるで初めて音を聞きつけたかのように、巨人を顔を上げて魔法使いを見た。おそらくは見つめていたのだろうが、空虚で何もない穴の目に写るものはなにもあるはずがない。
「もはやここにはなにもない。ならば、外へ出て歩くのも悪くはないだろう。もしも、運が良ければおまえのような生き残りに出会うかもしれないしね」
 考え込むような沈黙。彼の思考は遅く、沈黙は長かった。
「・・・いいや」
 そうしてようやく答えられた言葉は短く明確で、迷いの欠片もないものだった。
「これは、いかない」
「なぜだ?おまえがこの場に留まる理由はないのだろう?待ち人はもはや来ないだろう。おまえの寿命も近い。何を楽しみにこの場所を選ぶんだね?」
 巨人はじっと動かず、静かに首を振る。
「これらは、しんだ。これも、いずれはしぬ。ならば、このばしょがいい。どうほうもいる。これは、ここでしぬ」
 そうして、彼は最後の言葉を捨てた。
 のどかに広がる森の中で聞こえる鳥の声と、かすかな獣の声以外、なにも聞こえてはこない。ここは穏やかで静かな場所だった。石が座して時を過ごすには、あまりにも静かだ。
 巨人は沈黙を守り、そのまま動かなくなった。

 一晩、魔法使いアルファは石の巨人の側に座して待ったが、翌朝、静かに旅の支度を整えて、座したままの巨人の目の前から踵を返すことに決めた。
「石の巨人よ」
 使い古した埃っぽいローブを調え、壊れそうな旅雑嚢を肩にかけた。故郷を捨て旅を始めるより前から携えてきた杖を持ち、森を出る間際、もう一度振り返り見たが、やはり石の巨人は動くことはなかった。
「おまえは、私よりも古い」
 彼が動き出すのは、明日かもしれないし、3日後か、一週間後か、一年後か・・・もう二度と動かないのかもしれない。額の第三の眼にはめ込まれた翡翠色の古代魔法の結晶が曇り、ひび割れて朽ちて落ちるまで、もう何日もないだろうと、アルファは思った。
「いずれ、私にも最期がくるのかもしれないなぁ」
 彼が小さく呟いた言葉を聞く者は誰もいなかった。魔法使いは何事もなかったかのように、山を下るべく歩き出した。